可哀相な子ども達

毎日のニュース

最近、親の子どもに対するDVとか、
指導者、教師による体罰とか、
悲しいニュースが続いています。

僕も親の一人として、
いたたまれない気持ちになります。

躾と虐待のラインの引き所が分からなくなって、

「子供の為を思って叩く」

この事に親としての使命と負い目の狭間で
押しつぶされそうになっている親御さんて多いようです。

◎叩かないと分からない?
子供って、叩かなくてもちゃんと育ちます。

よく言葉が通じないんだから身体で分からさなければ。
という方がいらっしゃいます。

言葉が分からない時期には、
叱る必要がないのだと考えています。
その時期は、守って、愛すれば良いのではないでしょうか。

言葉が分かるようになれば、
身体ではなく、言葉で躾ければいいだけです。

我が家でも手を上げていましたが

って言っている僕も、長男には厳しくしていました。
結構、手をあげて育てていました。

娘は女子なので(そりゃそうだ)殆ど手をあげていません。
末っ子は男ですが、殆ど手をあげたことがありません。

答えはたった1つ

手よりも会話

結果、手をあげても、あげなくても変わらない。
という所に落ち着きました。

手よりも言葉。
やはり会話の質が重要だと思います。

会話の質が悪いと、手をあげる以外に方法がありません。

さて、唯一の方法として、手をあげますか?
それとも上質の会話を手にいれますか?

能力のない親

児童虐待のニュースが毎日流れていますが、
能力の無い親のもとに生まれた子供は本当に可哀そうだと思います。

さて、この能力。

親としての能力ってなんだろう?
って考えます。

子どもを育てる能力とは

親の能力。殊に子供を育てる能力って、
「学ぶ意欲」だと思うのです。

誰もが、朝顔の花を咲かせるために、その方法を学び、
実際に育てて検証します。
なのに何故、人を育てるのに、
そのことについて学ばないんだろうと思います。

学べない人もいます。
それは能力の問題ではなく、
時間の問題です。

時間を作るのも能力ですが、
それを言い出すと、話がとめどなくなるので・・・。

殴るのは良くない。
という時代の風潮の中で、
それを疑うでもなく、
正当化するでもなく、
単に感覚的に手をあげてしまう。

そこに子供への思いが溢れていれば、
問題はないと思うのです。

しかし、考えなく手をあげる。
うるさいから大人しくさせる為に手をあげる。

でも、それって正しくない。

何故正しくないかと言えば、
それが正しいのであれば、
子供はそれ以降、手をあげさせるようなことをしないわけです。

でも、そういう親に限って、
何度も手をあげ続けます。

という事は、効果がないわけです。
何故、効果がない事を続けるんでしょう?

子どもが駄目なんでしょうか?
僕は、親が駄目なのだと思います。

気付いて欲しいです

これは、もう学んでないです。
そこに気付いて欲しい。

どうして何度手をあげても子供は思う通りに育たないのか?

そもそも、子供は思った通りになんか育たないんですけどね。

他の手段を考えず、固執して手をあげる以外に考えない。
挑戦しない。勉強しない。

これってやっぱり、能力が低いと思うのです。

とても簡単な方法で子どもは変わります。

自分は虐待をしているんじゃないかという親御さんも、
楽になっています。

学んで下さい。
子どもの為に。親御さん自身の為に。

学ぶべきこと

言葉のキャッチボールとドッジボール

子どもとの言葉のキャッチボールを学んで下さい。
言葉のキャッチボールで、子どもは劇的に変化します。

うまくいっていない親子は、
言葉のドッジボールをしています。

相手が受け取れるかなんて考えないで、
時に、受け取れない状態を分かって、
言いたい事だけを伝えています。

キャッチボールとは、
取って貰えるように投げます。
取りやすい方向から、
取りやすいスピードで。

受け取る側も、正面で受け止め、
相手と呼吸を合わせて投げ返します。

ドッジボールとは、
逃げる相手に背後から狙ったりして、
力任せにぶつけます。

たまたま受け取れたら、
今度はぶつけ返します。
受け取る相手と呼吸を合わせたら負けです。

子育ては、子どもの為でもありますが、
親の人間的成長の場でもあります。

学びのない所に、成長はありませんよね。

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